2012年04月18日

4月17日「From the Nothing, With Love」読書会

今日は新入生3名、会員8名(内2名が途中参加)の計11名の読書会になりました。

読書会、ブログ更新担当はゆーすけです。
(なお途中で振るノンブルは文庫『The Indifference Engine』準拠です)

今回は未読者が1名(会員)で、新入生は全員既読、さらに内2名については『虐殺器官』、『ハーモニー』も読まれているということで安心して読書会を行うことができました。
また本作が007シリーズ(加えてMI5、MI6についてや、原作者イアン・フレミング、その他スパイ兼作家であったモームやグレアム・グリーンにも触れる)、アガサ・クリスティの『アクロイド殺し』をモチーフにしているのでそれらについても既知であるかどうかの質問も事前に行いました。


さて、まずは登場人物の紹介でそれらの元ネタに触れました。

「語り手」=「007 ジェームズ・ボンド」、「『アクロイド殺し』の語り手の名もジェームズ」
「上司」=「007 M」
「グレヴィル・アクロイド」=「『アクロイド殺し』の犠牲者ロジャー・アクロイド」
「キャロライン・シェパード」=「『アクロイド殺し』の登場人物キャロライン・シェパード」
「旧友」=「007 Q 作中の死因である自動車事故は演じていた俳優デスモンド・リュウエンの方」


その後、本読書会では、大ネタである「意識の消失」、「哲学的ゾンビの内面」のSF的な掘り下げはあまりせず、それらが作品の中ではあくまでモチーフの一つに過ぎないという立場から読解することを宣言しました。

モチーフの一つ目が、「007シリーズ」であることに異論は無いでしょう。
演じる俳優が変わりながらもジェームズ・ボンドという一つのキャラクターであり続ける点を、複数の身体に意識が転写され続けるスパイを語り手に添えることで、哲学的ゾンビの内面に迫るSFに変奏してしまう手腕は、それ自体見事ではありますが、本作の魅力はそれだけに留まりません。

また、モチーフの二つ目は、「メタルギア」でしょう。
#7と呼ばれる計画そのもの、あるいは、語り手の後継者が「子供たち」と呼ばれていることは、「メタルギア」シリーズの、伝説的な傭兵BIG BOSSのクローンを作り出そうとした「恐るべき子供たち」計画を髣髴とさせます。

モチーフの三つ目は、アガサ・クリスティ『アクロイド殺し』です。
作中で言及されている上に、ミステリ仕立てであること、最初の犠牲者がアクロイドであること、さらに……もう一つ(二つ?)の理由は『アクロイド殺し』を読んでいる方ならお分かりですよね?
分からない方は今すぐ『アクロイド殺し』を読みましょう。

モチーフの四つ目は、ブラウドン判例集からの引用、英国女王の「政治的身体」と「自然的身体」です。
本作で引き裂かれるのはいわば「組織人としての自分」と「個人としての自分/アイデンティティ」。それは、女王/個人、スパイ/個人、そして勿論本作で最も劇的に引き裂かれるのは無意識/意識に違いないでしょう。ここで「組織人としての自分」とは「社会の中の機能としての自分」と読み替えても良いかもしれません。

そして最後に言及したのは、「虚無」、「テクスト」、「古いもの」、「新しいもの」を象徴するモチーフたちの多層な重なり合いです。
自分を「時代遅れなもの」と言い、「恐竜」、「写本」、「君主」をそこに連ねます。このリストの最後に「意識」が並ぶことは、本作を読まれた方には今更言うまでもありません。
近代の帝国であった英国は「古いもの」の象徴であり、著者お得意の映画ネタまでイギリス一色に染め上げられた本作において、最も顕著にイギリス的存在たる語り手/ジェームズ・ボンドは当然、近代を否定するポストモダン/脱構築建築に辛辣な態度を取ります(面白いのは、206ページにて展開される、ポストモダン/脱構築建築の在り方についての彼の表現は、彼自身の在り方についての表現と酷似している点です。無意識のうちに同族嫌悪していたのでしょうか)。

しかし、キャロラインによって自分にはもう「意識」が転写されなかったことを知らされた語り手は、家に帰って「意識/彼」からの手紙を読み、それを挟んでいた本を手に、作中最も見事(と担当者が考える)な独白を展開するのです。

完全ではなかった「意識/彼」の残した本に書かれた「世界は充分ではなかった/ワールド・ワズ・ノット・イナフ」という文字はつまり、意識の消失した「私」の完全性を示し、さらには造本の白さと、ブレイクの「ミルトン」の一節から、劇的な読み替えが始まります。
経験主義の比喩であり、何も書かれていない磨かれた板を指し示す純白なる無/タブラ・ラサは、「古いもの」の象徴であった大英帝国のもう一つの側面、ドーヴァー海峡の白きチョーク層から連想されたブリテン島の古名/アルビオン/白き国……新しきものであるはずの「無意識」=「虚無」を象徴する部分が露呈させます。

ここにおいて、本作は、積層してきたイギリス的な古さを……役目を終えた「意識」を脱ぎ去り、「意識よ、おお、人間の古き鎧よ」という声と共に「新しき人」の目覚めを祝福するのです。
そこには、古きものが滅びるということの美しさがあり、あるいは執筆中に恐らくは自らの死を覚悟していた伊藤計劃が「意識」に代弁させた、痛切な声を聞くことが出来ます。

意識という魂の抜け出した後の、語り手/虚無は、その存在様式とマッチした虚ろな声で淡々と幕を閉じかけ、最後に、まるで死後テクストとして存在する伊藤計劃が、人間としての伊藤計劃にあてて祈りを捧げたかのように、こう言うのです。

「私の意識に安らぎあれ」、と。


なお、SFとして見た場合に以下のような意見も見られました。

・意識と無意識というものを二項対立にするのは、やはりイーガン以降のSFとしては退行しているのではないか。

・リベットの実験は、「自由」意思を否定するものであっても、「内面」の存在を否定するわけではないのだから、哲学的ゾンビとは繋がらない。そこに混同がある。

・むしろ、人間と見分けがつかないような完璧な哲学的ゾンビがいたとして、それは自分たち人間が「内面」を持っているのと、同程度の意味での「内面」を持っているのではないだろうか。

・そもそも哲学的ゾンビ自身も自身が哲学的ゾンビかどうかを判断できないのだから、手紙を出したのは本当に「意識」だっただろうか。それは単に躯体間の連続性が保たれていないだけなのではないか。

・語り手は、自身が哲学的ゾンビであると主張するが、それを証明できない以上(意識が転写されなかったことに気づいた研究所は一体どういうバカげたオーバーテクノロジーを持つ奴らなんだ)、信用できない語り手である。

・自由意思が無いことでグチグチ悩む主人公にはイライラする。


作家論としては以下のような意見があがりました。


・伊藤計劃は、「人間=テクスト」、「ゾンビ」のモチーフを繰り返し使っている。

・人間同士のコミュニケーションに乏しい点が不満なので、彼のミームを受け継いだ若き新人作家(チラッチラッ に伊藤計劃のアプローチで「他人」を見るとどうなるのか書いて欲しい。

さらには、「クリスティの『アクロイド殺し』にもある×印が本作にもあり、これは意識的にやっているのだろうから、実は×の断絶の部分で、始めに戻るだけでなく、何か書かれなかったものがあるのでは?」という意見も。

なお、多かったので食事は分かれて行きました。


僕が帰ったあと、どうしてISやニャル子さんが流行るのかを新入生と交え一時間ほど話した結果「キャラクターの傾向として、内面性が欠如している」という傾向が導き出され、最終的にライトノベルは伊藤計劃の目指した方向(意識の消失)に進んでいるという結論へとまさかの着地を見せたという、ボンクラ議論が展開されたようです。


次回の読書会は、4月27日『われはロボット』読書会です。
20、24日の通常例会も来てくださると会員は喜びます。
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2012年03月30日

過去の読書会記録一覧

過去に行った読書会の例会記録です。続きを読む
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2011年11月10日

ケロQ『素晴らしき日々〜不連続存在〜』読書会レポ

たまにはみんながあまり触れる機会の少ないメディアを、という事で、今回は担当者(MAKKI)の強い希望から美少女ゲームである『素晴らしき日々〜不連続存在〜』(ケロQ)の読書会を行いました。読書会参加者は担当者合わせて四人(うち一人は未プレイ)と少なめの人数での開催となりましたが、プレイ時間・価格・年齢制限等の敷居の高さを考えるとむしろかなりの会員に触れてもらえたと思います。
(そのときに使用したレジュメもこちらで公開しています。PDFにつき注意→ レジュメ 時系列表
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2011年05月23日

5月21日『ヴィークルエンド』読書会

今回は課題本がライトノベルということもあり新入生2人を含め、最終的には参加人数8人という盛況な読書会となりました。
読書会・ブログ更新の担当はこめです。

読書会はまず担当が世界設定をざっと解説するところから始まりました。『共感覚障害』の解説のところで参加者からいくつかの意見が出され、共感覚から『ヴィークル』への飛躍、共感覚障害として発現する現象の妥当性など共感覚を拡大解釈した結果を中心に設定に関する議論が起こりました。

「共感覚という言葉の強いイメージに頼って強引に説明しているが、共感覚の複合を利用して自身の身体を車などの“乗り物”と見立てるところへのつなぎは論理的ではないのではないか」
「(共感覚障害の発現が「一定以上の感情を“熱い”としか感じられない」などの形態を取ることに関して)感覚と感情を恣意的に混同しているのではないか」などの意見が出され、議論の結果、やはり共感覚からの発展としてはおかしいものの特異な世界設定を共感覚という印象の強い言葉を使って際立たせていることや、強引な解釈に違和感を感じさせない文章の勢い作者の持ち味がある、という結論になりました。

その後議論は、共感覚障害の軍事利用、共感覚障害を持つ新世代とそれを持たない旧世代の今後の確執、共感覚障害を抑えるためのサプリの化学的性質について、など共感覚障害が広がった世界の本書では触れられていない部分を中心として進み、個人規模・世界規模の両方で小話が語られていることで世界の存在が現実感を持っているという話に進んだところから繋がって、『ヴィークルエンド』の続編の話に入りました。

順当に他の地域のヴィークルチームとの対戦を描ことを望む意見の他、「キャラクターの性格と共感覚障害の発現形態が密接に関係している」「今作は基本的に主人公の視点から書かれてる」というところに関連して各巻ごとに他のキャラクターに焦点を当てて書かれた話はどうかという意見、共感覚障害がどんどん一般的になっていく社会が今後どのように変化していくかに関連して共感覚障害を利用した新たな文化(今作におけるミクニの歌など)や旧世代と新世代の本格的な対立とその落とし所など設定を煮詰めたよりSF的な話を読みたいという意見などが出ました。

最後に『ヴィークルエンド』の世界設定とサイバーパンクの関連についての話が上がり、自分の身体を客観的に把握するし精密に動かすということの肉体感覚の過剰な軽視、また共感覚を複合的に利用することによる十分に厳密な情報把握・情報記憶などがサイバーパンクの要素を持つという指摘が出ました。

このあたりで時間が遅くなってきたため読書会は終了、食事にいくことに。議論が盛り上がったおかげで予定していた進行からはだいぶ逸れた形で進みましたが、幅広い視点からの議論がおこり、よい読書会になったと思います。

これで今年度の新歓読書会はすべて終了ですが、新会員は引き続き募集しています。
毎週火・金に例会を行っているので興味のある方はぜひご参加ください。
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2011年05月16日

5月13日「花の魔法、白のドラゴン」読書会

参加者五名と少ないながらも、個人的にはかなり楽しめる読書会となりました。担当は鷹石明です。

多元世界ものということで、それぞれの世界についての感想や、日本語版のタイトルにもなっているのにレビューなどで「出番および存在価値が少ない」と評されていたため、個人的に気になっていた白のドラゴンについての意見などを拝聴することができました。
主に話題になったことは、タイム・パラドックス的な要素です。十年前の時空に存在する島に行ってしまったことで、主人公が体験してきた時系列と、実際に流れている時間が逆になってしまう、というところは本作についての一番の話題となりました。
また、分かりにくかった部分としてあげられていたのは、二人の祈祷師兄弟の行動の意味についてです。ジョーンズの作品に登場する悪役に限らないのですが、もともと子供向けである本では、「勧善懲悪」を掲げているためか、悪役は小物っぽいことが多く、しばしば自分の目的について途中で主人公サイドに対して話してしまうという暴挙にでます。それは今作品の数人のキャラクターに対しても例外でもありませんでした。しかし、彼らには登場人物に言われていたとおり「思考が理解できない人間に対しての怖さ」があったと思います(一部彼らも小物っぽいという意見が出ましたが。彼らの末路についてはなんとなく同意です)。これに関しては、多元世界のうちのとある閉鎖的な世界で育った人間であるから、倫理・精神的にも異常である、という結論が出たように思います。

補足になりますが、直接物語はつながっていないものの、この本の前作に位置する「バビロンまでは何マイル」が創元社推理文庫から出ましたので、そちらも読んでみてください。

さて、次回は最後の新歓読書会となります。5月20日(金)、取り扱う本はうえお久光著『ヴィークルエンド』です。よろしくお願いします。
posted by KUSFA at 12:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする