2008年04月26日

4月25日読書会「ドグラ・マグラ」

参加者七人、うち新人二人。
現実と記憶と幻視が混乱し渦を巻くストーリーを、まず幻視=記憶と仮定して時間軸の確認。こういう枠組みからとっかかるのはSF者のサガなのか。一度しかありえない10月19日の事件を取っ掛かりに、シーンごとの反復可能性を整理していく。読者の時間間隔を狂わせるほど長い「遺書」によって二つの時点が接続されているのでは、という読みも登場。全てが少なくとも一度はおこってしまったことの記憶ならば、そういうこともありうるだろう。なんとなく見通しがたってきたかもしれない。
最後にちゃぶだいをひっくり返すような「胎児の夢」も、主人公の「子」だとするなら作中の理論には合致する。ここで一部会員のヤンデレ趣味が暴走し、狂人でも子供はできるよ!と発言。このときは、主人公の人格として自分の正気が不確かなままではヤらないだろう、と押しとどめる。
ここで問題は序盤に若林が主人公に見せる「ドグラ・マグラ」の扱いで、これを主人公が書けたとするなら、そしてその内容が=ストーリーならば、主人公は一度は(少なくとも自己の認識として)正気だったのではないだろうか。ここで一部会員のヤンデレ趣味及び闇ハッピーエンド趣味が炸裂し、ムリヤリに納得する。
つまり整理するとこう

1:記憶喪失の発作+治療。遺書を読む。
2:正木との面談(一回限り)
3:記憶喪失の発作+治療
4:正気に戻る。1〜3を「ドグラ・マグラ」として記録。
5:再び発作+治療。「ドグラ・マグラ」を目撃。遺書を読む。
6:正気に戻る。モヨ子と結婚。
【胎児の夢】父親の記憶5、2、3を認識する。⇒『ドグラ・マグラ』

一応作中に登場する理屈だけで説明できたと思う。ただちゃんとメモとってなかったので、このまとめが間違っているかもしれない。
他にも、巻頭歌の「母親の心」とはなんのことか、という意見。千世子殺人事件がちゃんとミステリーしている、という意見。科学理論を積み重ねて最後がアレというのはアンチ何かなのかも、という意見。呉一族生き残りすぎ、物持ちよすぎ、という意見。京極っぽい、イーガンっぽいという意見。十分盛り上がった読書会になったと思う。


posted by 魚 at 15:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:


この記事へのトラックバック