2013年05月22日

5月21日『勇者ヴォグ・ランバ』読書会

2013年度5回目の新歓読書会は少し趣向を変えてコミックから、庄司創先生の『勇者ヴォグ・ランバ』(アフタヌーンKC、全2巻)の読書会を行ないました。参加者は新入生4名を含めた10名。読書会及びブログ更新担当は里々です。

作者自身が伊藤計劃から大きな影響を受けたと語っている本作。その言を裏切らない濃密かつ刺激的なSF設定の他にも、アクションシーンやキーハ萌えなど、さまざまな読みどころのある作品です。今回はそんな作品の中でも最大の読みどころである(と担当者が考える)「ペインフリーなしで戦争のない社会をいかにして実現するか」という問いかけに対する作品内の回答をより深く理解し、それについて参加者の間で意見交換を行なうことを目的として読書会を開催しました。

読書会のレジュメはこちら(PDF注意。読書会での議論を踏まえた修正版になります)。


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流動化社会とはいかなる社会か。それは本当に「正解」なのか?
本作が投げかける問いの核心である「記号の暴走」という現象を踏まえた上で、それを防ぐために提案される「流動化社会」(と便宜上呼びます)とは具体的にどのような社会なのか、また、記号の暴走を防ぐために社会を流動化するという発想は果たして世界平和を実現するための「正解」と言えるのか、といった問題が今回の第一の論点になりました。以下、この論点について参加者から出た意見です。

・「一つの価値観にこだわらずどんどん価値観を更新していこうぜ! 頭を柔らかくして自分を変えていこうぜ!」という発想はかなりポストモダンっぽい。
・流動化社会≠自由な社会。
→リバタリアニズムでもない。必要があれば政府があの手この手で民衆に価値観の更新を迫ることができる。
→「価値観を変えない」自由は抑圧される。
→政府の判断が正しいという根拠は?
→よしんば政府が正しいとしても、合理的に説得しさえすれば民衆は全員必ず正しい政策を支持するのか? そのような画一的な社会は一種のディストピアでは?
→この世界の人間は合理性を信頼しすぎでは? 合理的選択が複数対立したり、合理的に戦争を選ぶ可能性はないのか。
・オクトが提案する政策はほとんどが現実世界の政策をモデルにしたもの。
→「大きな戦争なしに終末戦争直前まで進んでしまった世界」という架空の状況から現実世界の状況へと移行する話とも読める。
・戦争の原因の一つと言われる「リソースの偏在」をどう解決するか。
→リソースの分配手段を考える際、あるところで非暴力ではなく暴力を用いた方が合理的になる点が存在する。
→人間は頭が悪いからではなく頭がいいから戦争するんですよ。
→作品世界にはエネルギー問題がないという設定だから、この問題は一応無視できるんじゃない?
→食料や水はどうなる?

流動化社会を目指すことが「正解」であると仮定して、そもそもオクトの政策は本当にそれを実現することができるのか?
「記号」なるものの役割の一つは、複雑な世界を単純化する(「複雑性の縮減」)ことで積極的な判断や行動を可能にすることにあります。そして、記号の惰性化・硬直化傾向を是正して、人間に自らが関わる「記号」を不断に更新することを迫るという作中の解決策は、人間各人が日常生活の中で世界の複雑性と随時向き合い、「記号」の更新のために多大な認知的負荷を引き受けることを意味します。「僕らは流動性という無休の戦場を戦い続け、時に実際死に追いやられ、この脳内、熟慮と葛藤と煩悶の中に戦争は消えていきます」という、本作で最も印象的な台詞の一つは、まさしくそのような負荷を人間各人が引き受けることを「戦争」のアナロジーで語ったものであると言えるでしょう。
しかし、そもそも「記号」の存在やその惰性化・硬直化傾向は、人間の認知能力が有限であることから必然的に要請されるものではないでしょうか。だとすれば、本作で提示される社会制度面でのさまざまな改革案は、人間の認知能力そのものを拡張することを目指すものでもなければ、人間の認知能力の有限性を根本的に踏まえたものでもない以上、自らが掲げる流動化社会を本当に実現することはできないのではないか、というのが今回の第二の論点になりました。以下、この論点について参加者から出た意見です。

・流動化社会は「流動性の高い社会」ではあるが「流動性100%」の社会ではない。
→「記号」の惰性化・硬直化はおそらく完全になくなるわけではない。
→でも、それだと近代社会とほとんど変わらなくね?
→どれだけ流動性が高ければ戦争を防ぐのに「十分」と言えるのか。
→そもそも流動性ってどうやって測るの?
・本作が架空世界の状況から現実世界の状況へと移行する話だとすれば、現実世界における課題は課題のまま読者の手に委ねられている。
→原理主義への対応が棚上げされているのが顕著な例。
→よりラディカルな流動化社会の提案例:鈴木健『なめらかな社会とその敵』
・オクトの台詞は「地獄はここ(脳内)にあります」という『虐殺器官』の台詞への回帰ともとれるよね。
→『ハーモニー』から『虐殺器官』へという逆向きの思弁?

また、上述の論点とは別に、個別の設定や作品そのものについて以下のような意見も出されました。

ペインフリーについて
・『ハーモニー』のアイデアは、システムが成熟してさえいればハーモニクス発動後も社会は完璧な調和のもとで運営されるというもの。
→それに対して、本作のペインフリー体制の描き方は、ペインフリーのシステムが不完全であるということを前面に出すものになっている(目覚めると部屋がゴミだらけ、不味い食事を平気で食べるなど)
→ペインフリー体制を打倒するという作品の都合上、ハーモニクスのアイデアが矮小化されていることは否めないのでは?

発現について
・作品世界の生物は組成からして現実世界の生物とは違うらしい。
→生物が死んでも化石燃料にならないという設定が終末戦争直前の人類という設定に活かされている。
→ペインフリーを実現しうるまでに脳科学が発達したという状況も、発現技術とのつながりで理解できる。

作品そのものについて
・この作品が「漫画」で描かれる必然性が弱いのではないか。
→大胆なSF的思弁を展開する以上、どこかに穴ができるのは仕方ないが、漫画ならその穴を埋めるような説得力をもっと「絵」によって持たせてほしかった。例えばオクトの演説シーンなど。
→良くも悪くも頭でっかちな作品。SF好きならたまらないが、そうでない人間はついていくのが難しいかもしれない。
・ヴォグ・ランバやヨルムンガンドのような「強制世界平和もの」はもっと流行ってほしい。
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その後、担当者と参加者が本作のテーマに通じる参考文献を紹介し合い、読書会は終了となりました。作品そのものが刺激的なだけに、議論も非常に白熱したように思います。新歓読書会も残すところあと一回。ラストは5月24日(金)の夢野久作『瓶詰の地獄』(角川文庫、青空文庫)読書会です。皆様のご参加をお待ちしています!
posted by KUSFA at 13:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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