2012年11月09日

第三回本格ライトノベル大賞各作品コメント

去る10月に開催された京都SFフェスティバルの合宿企画として、第三回本格ライトノベル大賞の選考座談会を行ないました。
五時間に渡る討議の結果、第三回本格ライトノベル大賞受賞作は鳳乃一真先生の『龍ヶ嬢七々々の埋蔵金』に決定いたしました。
京フェスサイト及びTwitterではすでに告知させていただきましたが、この度各作品へのコメントとともに改めてご報告いたします。

また、10月26日付の読売新聞・関西版「サブカル列島 Zipang異聞」にて、ライトノベル特集の一環として、本格ライトノベル大賞についての取材記事が掲載されました。重ねてご報告いたします。読売新聞様、ありがとうございました。

以下、各作品へのコメントになります。

 鳳乃一真『龍ヶ嬢七々々の埋蔵金』
 ライトノベルはこれまでさまざまなジャンルやメディアの想像力を取り込み、自らの表現力を豊かにしてきた。それゆえ、現在のライトノベルの表現的特徴をたった一つの系譜に求めることは難しい。しかし、ライトノベルの最も古い系譜の一つがジュブナイル小説であること、「少年少女向け」の小説であるということが、単なる商業上の戦略を超えてライトノベルの表現を規定する一つの地層となっていることはおそらく否定しえないだろう。本作『龍ヶ嬢七々々の埋蔵金』も、そうした系譜の先端に連ねられるであろう作品だ。
 家業を継ぐかどうかをめぐって親との諍いを起こした主人公・八真重護は、実家を勘当され、太平洋の人工島にある学園都市へと転校させられる。転がり込んだ下宿先のアパートの部屋で、彼は島を創設した七人の天才学生のうちの一人、竜ヶ嬢七々々の地縛霊と出会う。七々々と親しくなった重護は、彼女を殺した犯人を突きとめるために、彼女が遺した不思議な力を秘めたアイテム《七々々コレクション》を集め始める……。
 トレジャーハントという形式をとった王道の冒険活劇であるが、ライトノベルにおいてはこうした方向性の作品は実はなかなか珍しい。設定を織りなす要素も非常に独特だ。主人公になぜかつきまとう自称名探偵の美少女、彼女の付き人の女装メイド、高校の冒険部のメンバーや義賊集団など、単一の設定的枠組みに収まりきらない個性溢れるキャラクターたちが宝を求めて入り乱れ、手に汗握る駆け引きが展開される。
 さらに、アーバン・ファンタジー的要素を具えた独特の世界観の面白さも見逃せない。街中の高層ビルやショッピングモール、人里離れた温泉街などに突如として出現するダンジョンとそこに仕掛けられた謎は、日常の内部に開かれた未知の領域として、読者を主人公たちとともに冒険の興奮へと誘う。このようなライバルとの駆け引きや日常の異化といった要素が本作の大きな魅力をなしている。
 しかし、本作の魅力はそれだけではない。トレジャーハントというストーリーの基底には、主人公・重護のアイデンティティ形成という成長物語的なプロットがある。家業に背を向け、幼い頃に抱いた夢を捨ててしまった彼は、宙づりになった未来を前にして進むべき道を模索するモラトリアム的な状況に置かれている。他方、そんな重護と宝探しを通じてときに協力し、ときに衝突し合うキャラクターたちの個性の核になっているのは、彼らが抱いているさまざまな「夢」だ。名探偵になること、自信を手に入れること、好きな相手を振り向かせること――ライトノベルにおいて成長を描く際の王道の課題である「恋愛」も、ここでは「夢の実現」というより包括的な文脈のなかに置き直されている点に注目すべきだろう――このように普通であれば同一の平面に並び立つことのありえないさまざまな夢が、一切の黒幕たる龍ヶ嬢七々々が用意した宝探しという舞台の上に集められ、互いにぶつかり合う。目標を胸に抱き、それを実現すべく邁進する周囲の人間たちに、重護はかつての自分の面影を見出し嫌悪を抱く一方で、彼らに対する憧憬も隠しきれない。七々々を殺した犯人を「気が向いたら」突きとめるという「グラグラな信念」に基づいて宝探しに身を投じる重護は、夢と夢とが火花を散らし合うなかで、自分自身の目標とは何か、という本質的な問いと向き合うことになる。そのような状況下で少しずつ描かれていく重護のアイデンティティ獲得のプロセスが、半ば混沌とした世界観の物語に一つの太い筋を与えている。
 多様なキャラクターたちが抱く多様な野心が、「夢を追い求める」というテーマにおいて互いに結びつき、宝探しという共通の舞台において互いにぶつかり合う。そうした意味で、『龍ヶ嬢七々々の埋蔵金』という作品は、「冒険」と「成長」というかつてのジュブナイル小説の二大要素を、キャラクター小説としてのライトノベルにおいて見事に換骨奪胎した作品であると言えよう。このように、思春期において本質的といえる成長という主題に、温故知新的なアプローチでまっすぐに向き合った姿勢が高く評価され、今回のノミネート、受賞の運びとなった。

 赤城大空『下ネタという概念が存在しない退屈な世界』
 全ての性表現が言論統制下で禁止された現代を舞台にした本作は、自由に性的な言葉を叫ぶことができる世界を取り戻すため日夜テロ活動を繰り広げる《雪原の青》華城綾女とそれに巻き込まれた主人公・奥間狸吉、そして彼らの周囲の高校生の間で繰り広げられるドタバタ学園コメディだ。
 大きなポイントは「徹底されないエロ」だ。華城綾女が大上段に叫ぶのはお馬鹿な下ネタであり、一方で「健全な教育」を受けてきた生徒会長は恋と性の違いを知らない極端なアプローチに走る。エロい事は大事ですよ、とは口に出してはいけないが、同時にしかし知っていないといけないことで、それを知らない高校生は無知ゆえにエロに向けて暴走し、しかし無知ゆえにそのエロは徹底されない。腕を組んだ全裸の表紙は発表当初話題になったが、手に取るのを躊躇わせるこのイラストは作品の内容を考えた場合に実に正しい「ブラフ」である。矢継早に繰り出される下ネタギャグは機知に富み軽快であり、大勢の生徒が裏山のエロ本探索の為に暴徒と化して「革命」を起こす――エロを叫ぶその不健全さは、実に馬鹿馬鹿しくて却って爽快感すら覚えさせる程に「エロくない」という逆説を抱えているからだ。
 ともすれば説教めいたプロパガンダになってしまいがちな《表現規制》というテーマを扱いながらも、その為に下ネタという卑近な題材を取り入れ、同時に登場人物たちが下ネタに多大な情熱を傾ける様子を描くことで、政治臭が薄まったハイテンションコメディに仕上げている点も注目に値する。
 キャラクターたちの楽しくも馬鹿馬鹿しい不健全な青春の有り様は、正に作中で規制の対象となっている、中高生にこそ読んでほしい。彼・彼女たちがライトノベルの中心顧客層であることを考えると、本作がライトノベルであることの意義は大きい。

 榎宮祐『ノーゲーム・ノーライフ』
 いわゆる異世界召還ものであり、「俺つええファンタジー」である。この、特徴だけあげれば、いかにも中高生が好きそうで、恥ずかしさすら感じさせるような作品が、しかし、新しく、なおかつ面白かったのである。
 まず小説技術。際だっているのが、シーンごとの見せ方、つなぎ方が上手く、意識的に絵と流れを作っている点である。これはやはり作者が漫画家であるためだろう。また文章は装飾やレトリックが少ないが、ナレーションとして必要な情報を素早く伝える。テンポの良い作品であるが、読者が違和感なくついてこれるのもそのためであり、手軽に読めるというラノベの美点を従来よりさらに発展させた。
 そして練り込まれた設定。全てがゲームで決まるという設定は前例がないわけではないが、異能でイカサマあり、つまり人間は圧倒的に弱いという点に設定の妙がある。この世界の人類を救うのが、現実世界では不適合者かつ一人では生きていけないが、ゲームについては天才である兄妹というのが面白い。そして種々の設定の根幹にあるのが「人間は弱い。しかしその弱さは、人間の強さでもある」という、本作の基本テーマなのである。
 面白さについても触れねばなるまい。バトルシーンの外連味、物語のスケールの大きさ。これらの面白さが原初のラノベにあった力強さと言いたくなるような懐かしさを感じさせつつも陳腐にならないのは、先に述べたような作者の実力が底支えしているからだろう。
 最後に、作者は漫画家であることは先に述べたが、イラストも担当している。美麗なイラストが壮大な世界観、魅力的なキャラクター造形に寄与していることは間違いない。また、小説の方法や想像力の面でも従来のライトノベルとは異質であり、ジャンルの幅を広げた作品であることは明らかだ。

 竹林七草『猫にはなれないご職業』
 非常に読みやすくテンポのいい佳作だ。
 陰陽師であり猫又であるタマは、飼い主桜子を魔物から守るために桜子の親友である命に協力を要請する。なぜなら守られる対象である桜子は、大陰陽師であった祖母の遺言により、自分が魔物に狙われていることはおろか、飼い猫が人語を解することも、祖母の生前の生業すら知らないのだから……。
 タマと命の一人称が交互に挿入される形で物語は進んでいくが、非常にテンポがよくて読者を飽きさせない。また、二人の丁々発止の会話は、その口の悪さの底に幼年期からの悪友のような仲の良さが感じられ居心地がいい。ちなみに命は隠れ腐女子であり、猫又の方もなぜかオタク方面に造詣が深い。
 主人公格であるタマ、命は当然のこととして、桜子、タマのサポーターである妖怪ヤクモ、桜子を狙う狡賢い妖狐八尾、悲しい宿命を背負った犬神清十郎など、各々のキャラはしっかり立っていて魅力的だ。また妖とのバトル描写も丁寧でありかつ手に汗握る展開だった。
 しかし、本作の主眼は退魔であると同時に、いやそれ以上に「死者を葬る」ことなのだろう。だからこそ、祖母の死から立ち直る桜子の姿は力強いし、守られるヒロインの枠には収まらない。タイトルのもう一つの意味も、そこにあると思われる。死者を葬ることは、どこまでも人間の領分なのだ。そういう意味で本作は、高いエンターテイメント性を持ちながらも深く読むことのできる作品である。
 一巻できれいにまとまった作品ではあるが、桜子達にはどのような将来が待っているのか、今後の展開に期待したい。

 ナカオカガク『キリングシュガー』
 二〇〇頁足らずの頁数に、ほとんど最小構成要素といえるエピソードとキャラクターだけを詰め込んで書かれたミニマルな物語だが、そのなかで描かれる雰囲気や関係性は非常に鋭く、濃密だ。
 望まぬ異能を与えられ、組織の駒として出口のない戦いへと投げ込まれた少女たち。残酷なサバイバル的闘争のなかで、少女たちはそれぞれの仕方で不条理な現実を生き抜こうとするが、その試みは初めから挫折へと運命づけられている。そのような少女たちを貫く絶望や諦念、気怠さや敵意の感情が本作の中心にあるものだ。「少女と銃(武器)」という形象を核にした、自分たちに理不尽な要求を突きつける世界に対する抵抗というテーマは、少女小説やセカイ系の感性とも響き合いながら、ゼロ年代に桜庭一樹『推定少女』やアサウラ『バニラ』などにその優れた表現を見出してきたが、その系譜を引き継ぐ作品はほとんど現れてこなかった。しかし、こうした方向性の表現の可能性は汲み尽くされてしまったとは言いがたく、その点で本作のような作品が登場したことは意義深いように思われる。
 殺伐とした状況下で結ばれる少女たちの絆は、乾いている一方で共依存的な脆さも孕んでいる。そのような絆で結ばれた少女たちの、ハードボイルド的であると同時に百合的でもあるような微妙な距たりを含んだ繊細な関係性の描写もこの作品の大きな魅力の一つだ。
 さらに、映画のカットのように視覚的で鮮やかなシーン構築の手腕も見所だ。カーチェイスや狙撃など、作品の随所に散りばめられた魅力的な「絵」の数々が、物語構成の簡素さにもかかわらず強い印象を読者の脳裡に焼き付ける。あるいは、視覚的な「絵」だけではなく、ニュアンスに満ちた物語の構図が生み出す象徴的な「絵」に注目してみるのも面白い。モブや背景描写を極力排した箱庭的な世界観のなかで繰り広げられる少女たちの戦いは、ジェンダー的抑圧や欲望されることに対するたった一人の「少女」という存在の葛藤を描いたカリカチュアであるとも読める。こうした観点から黒幕の存在が果たしている役割を考えてみるのも一興だろう。

 物草純平『スクリューマン&フェアリーロリポップス』
 活発に拡大を続けるライトノベル市場にあって、その台風の目となる作品だろう。
 平凡な少年が異能を持つ少女と出会い困難に立ち向かう。本作ではそんな『灼眼のシャナ』以来のバトルものの王道的展開を導入し、主人公・卓巳とヒロイン・ロロットの関係性は『アクセル・ワールド』的な姫‐従者のそれである。
 本作がアップデートしたのはヒロインとの恋愛関係だ。『灼眼のシャナ』、『とある魔術の禁書目録』、『アクセル・ワールド』においてはハーレム的な恋愛対決がヒロインの魅力を担保していたが、本作における卓巳とロロットは最初から相思相愛ともいえる状況から始まる。ロロットの魅力を支えるのは彼女の悪人的な二面性であり、それに起因する果てしない目標である。ハーレム的展開においてはともすればないがしろにされがちであったメインヒロインは、本作によって共に物語を歩む少女として再定義され、圧倒的な存在感を放つに至った。
 基礎的な部分においても非の打ち所がない。四回ものバトルシーンをまとめ滑らかなストーリーテリングを実現する筆力。今後の展開が気になる伏線や設定もちりばめられ、イラストはロロットの無邪気な可愛らしさと飲み込まれるような魔女っぷりの二面性を見事に表現している。
 本作は更新され続けるスタンダード・スタイルの最新版といえるだろう。ロロットが歩んでいく次世代の王道を今後も注視していきたい。
posted by KUSFA at 01:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 本格ライトノベル大賞 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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