SFに馴染みのない新入生にもぜひイーガン作品の魅力を知ってもらおうと思い、イーガンの多くの作品に見られる自己の性格や価値観を変えてしまえる“価値ソフト”や“神経インプラント”という概念を、ごく近い未来を舞台にすることで身近なものとして描いたこの作品を選出。
結果的に4人の新入生と僕を含め5人の現役会員が集まりました。
この短篇の一番の山場は後半の手術後からラストまでだということで、しあわせを失うまでの経緯としあわせを失ってからの暗黒の日々はさっと流そうか
と思ったのですが、
読書会を担当するにあたって読み直したところ、しあわせを失うまでの過程についてもよく練り上げられ、それこそが作品全体を通した身近さ・現実感の根源になっていると思い、ある程度くわしく追っていきました。参加した新入生にも「しあわせを失い無気力に過ごす日々がすごくリアルで共感しました」という方がおり、くわしく触れてよかったと思います(いいね。君! SF研向きだよ!)
その後も話の流れに沿って僕の思いの丈をしゃべりつつ進めていきましたが、擬似神経導入の手術後、あらゆるものがしあわせに感じられるようになったところに入ったところで、「この状態ってどう思う? 僕は悪くないんじゃないかと思うんだけど」という質問を投げかけたところ「それは生きてると言えるのか」「いや僕はそれは素晴らしいと思う」など狙い通りの反応があり、そこから議論が盛り上がりました。
ラストの場面について、ドブ川の横、小汚い部屋に住む主人公がそれでも「ぼくはここが気に入ってるんだ」という、その場面はディストピアなのではないか。
いや、本人がしあわせを感じているのならそれはしあわせ以外の何ものでもないのではないか。
自分で恣意的に選んだ価値観しか持たないなんて、そんなものは人間とは言えないんじゃないか。
いや、どんな人間も誰かから与えられた文化に影響を受けているのだから、本当に自分で選んだものなんんて何もないのではないか。
より唯物論的な見方をするならもっと個人の選択が無意味な書き方があるのではないか。
記憶が残っており「今は不幸なはずだ」という客観的な認識があれば、本当にしあわせにはなれないはずではないか。
などなど。
まだまだ話足りないこともありましたが、時間が迫っているということで20時を目処に見切りをつけ読書会は終了となりました。初めて来てくれた方も含め、新入生の方からも積極的に発言や疑問の提示があり、盛り上がる読書会になって良かったです。
そのうちまた他のイーガンの話もしたいなあ。
以上、読書会担当長野による読書会報告でした。
ラベル:読書会