東浩紀『クォンタム・ファミリーズ』の読書会。
現役生の他、初回の方が二名と同志社のSF研から一名とリピーターの方一名が見学に来てくださいました。
会員の中ではあまり評判が良くなく、厳しい意見が多かったです。
論点・意見は大体以下の通り。
・文体について
・前半は平行世界ものとして話を進めているのに後半はタイムパラドックスになっている
・『存在論的、郵便的』を読んでいると、それに沿ってしか読めない
時間内に議論が終わらず、食事会の後、会員の家で軽く延長戦。
・村上春樹、麻枝准との関係性など
今回はじめての読書会担当で至らぬ点が多く、反省中です。
東浩紀さん本人に「前半は平行世界ものとして話を進めているのに後半はタイムパラドックスになっている」という点について指摘を受けました(発言1 発言2)ので、補足をしておきます。(以下加筆分はふな)
SFにおけるよくある「平行世界」の使い方として、タイムパラドックスの解消があります。歴史改変が起きた時点で時間線が分岐するので一つの時間線ではパラドックスになることがならずにすむ、という例のあれです。この「説明」はタイムパラドックスを排除してタイムトラベルものをやるには便利なので、SFを読み慣れてくると「平行世界」(によるタイムパラドックスの無視)と「タイムパラドックス」(が存在する単一の世界線)が言外に排他的なものに思えてくるわけです。問題の「まとめ」はおそらくここに立脚しています。
一方で『クォンタム・ファミリーズ』の設定は(確か)解釈としての平行世界なので、互いの存在は不可分であり干渉できる。つまり部分ごとに時間のズレがある、限定的に独立な一つの世界と見るべきで、そこでは「タイムパラドックス」が存在する。中盤以降、物語はこの特性を利用し歴史改変による宿業の帳尻合わせに向かうのですが、前評判として「平行世界」が刷り込まれていた我々には「意外な展開」でした。結果としてあのような感想が出てきたのだと思います。少なくとも自分はそうであり、読書会で異論が出なかったのは他の会員たちもなんとなくそう感じていたのでしょう。ジャンル小説にありがちなミスリード(誤読)ですね。釈明終わり。